essay 1.
僕は
たまに美術館に行く
美術に造詣があるわけではないけど、
「これを見たい!」って思っていくこともあるし、「なんとなく見てみようかな」って時もある
今回は後者である
ふと、ある女性に声をかけられた
話をしているうちに、その女性は今僕がたまたま見に入った美術館に、作品を出展されているアーティストだということがわかった
あなたの作品はどちらにあるんですか?
こちらです
そう彼女が案内してくれた作品は
2m×3mくらいある黒が基調の絵であった
白い壁に掛けられており、海岸線に降る6月の雨雲のような、どんよりと淡く広い黒であった
彼女は
実は、この絵、コーヒー豆の麻袋に描いてるんですよ
と言った
最初はいろんな色に染めてたんですけど、最終的にはシンプルにいきたくて黒にしたんです。ほら、下の方なんかはちょっとまだ、前の色が残ってるでしょう?
その隣の作品もそうですか?
それも私が描いたんですけど、そっちは毎週家で出るゴミで、キャンパスを作りました
そっちも最初はいろんなパッケージでカラフルだったんですよ
そう彼女がいう作品は、今は深い黒色の作品となっていた
でも、近くに寄ってみると、たしかにお菓子の紙箱や牛乳パックのようなもの、三角定規や、何かの鍵などがあった
この円いのってなんですか?
あ!それはね、チーズの箱なの
孫がよくうちに来るんだけど、そのチーズが大好きで
と
少しずつこの2つの作品についてわかってきた
一見黒色の作品なんですけど、どうしてバックに日常を埋め込んだんですか?
この作品大きいでしょう?だから、この作品は別の部屋を借りて描いたんですよ
今は追い出されちゃったんですけど(笑)
そして、うちから見える下の公園とかを見ながら描いたりとかしたんですよ
コーヒーの袋もうちで飲んでたやつです
深い意味とか聞かれてもこれがこうとかは言えないんですけどね〜
こんにちは!
別の女性が私たちに声をかけてきた
話を聞いていると、アーティストさんの友人らしい
今回もすごい作品ですね
そう話す友人の人は、カフェのオーナーさんで、アーティストの女性の絵を持っているらしい
その絵はお店に飾ってるんですか?
お店ではないけど、自宅に飾らせていただいています
毎日その絵と暮らしています
作品に自分の日常を投影し、
その作品が他人の日常の一部となっている
自己を分けたものが自分であるとするならば、作品は自分であって、その作品が他の人によって育てられるというか
作品が自分にはない新たな価値を、別の生活を生み出し、そしてそれがその人の一部になっていく
循環していくというか、そういう形で巡っていけるのってすごいなぁって思う
僕は今
日向でズッキーニを作っている
どうやらそれは大阪に行っているらしい
まぁだからといって、あまりそこに心は置いてないけど
僕はただ、今目の前にあるズッキーニと闘っている
一日一日、今日は量が多いだの形がいいだの、ちょっとしたことを気にして
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