Roots
昨日、偶然中学校の時の先生に会った
地域の人材育成事業でへべす畑の視察にいらっしゃった
そのときは全く先生だということに気づかず、炎天下の中、へべすの収穫とへべすの話やドリンクの試飲などをしてもらった
その後、飲み会があって
会が終わって帰ろうとしたところに、「〇〇出身だよね?先生のこと覚えてる?」
9年も前だし、全然先生っていう雰囲気じゃないし(いい意味で)、しかもなんならさっきまで一緒に飲んでたし…うれしいような恥ずかしいような感じだった
先生も前日、僕の担任をしてくださっていた先生たちと飲み会があったらしく、「へべすくんのことも聞いてたけどまさか今日会えると思ってなかった」とおっしゃっていた。
まだ自分のことを見てくださっていることにすごくうれしいなと思った
改めて考えると、僕は今22歳で、来年から教員として子供たちに教えていてもおかしくない年齢
当時は、先生や親という存在が僕の中でどこか絶対的なものだった。
何をしても公平で中立で、完璧な存在のように見えていた
だから、安心してその中で生きられたし、認められたいと思っていたし、突き詰めると、もしかすると、彼らを個人としてではなく、もっと大きな存在、あたたかなルールやシステムに似た概念としてとらえていたのかもしれない。
当時も思っていたけど、今思うとさらに、ただただ感謝しかないなと感じる
いろんなことを経験して、いろんな人と出逢って、あの時の自分とは物事のとらえ方も、見え方も変わってきた気がするし、変わらないところもあるけど、学校とは違う社会で先生と生徒ということではなく、一人の人間として出会えたことがすごくうれしいし、でもちょっぴり恥ずかしくもあり、感謝しかないなぁと思った
でも、僕の中ではやっぱり先生は先生なきがした
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